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浮島丸 (特設巡洋艦) : ウィキペディア日本語版 | 浮島丸 (特設巡洋艦)[うきしままる]
浮島丸(うきしままる)は、大阪商船が1937年に竣工させた貨客船。太平洋戦争では日本海軍に特設艦船として徴用され、前半は特設巡洋艦、後半は特設砲艦に類別されて海上護衛や哨戒任務に従事した。終戦時には特設運送艦籍で健在だったが、1945年8月24日に朝鮮半島出身者を送還中、機雷に接触して沈没した。 == 商船時代 == 「浮島丸」と姉妹船の「波上丸」は、大阪商船の沖縄航路用貨客船として建造された。当時の大阪商船は、命令航路として大阪港と那覇港を結ぶ定期旅客便を運航していた。大阪商船の沖縄航路は従前「宮古丸」などの老朽船が多かったが、船舶改善助成施設などによる1930年代の外航船更新に沿って、沖縄にも会社独自の方針で新造船を投入することが決定された〔大阪商船三井船舶(1966年)、428頁。〕。同時期の大陸航路向けの貨客船が「黒龍丸」のように蒸気タービン機関搭載だったのと異なり、波上丸型ではディーゼルエンジンを採用した〔。客室設備は従前の沖縄航路船よりも改善された〔。また、沖縄航路用としての設計上の特色として、沖縄産の農産物輸送が考慮されており、果物や家畜などを積む専用貨物設備を有している〔。 1936年(昭和11年)末に進水し、翌1937年(昭和12年)3月に竣工した「浮島丸」は、姉妹船とともに予定通り大阪・沖縄航路に就航した。姉妹船の「波上丸」は日中戦争の開始後に日本陸軍により病院船として徴用されたが、本船は商船として運航され続けた。1940年(昭和15年)1月27日には、通常航海の途中、種子島南方の鍋割礁で座礁したアメリカ商船「P・ケソン」の遭難信号を受信したため、同船の乗員・乗客108人と子犬1頭を救助して神戸港まで送り届けている〔「殊勲の浮島丸帰る―着のままのケ号遭難者 腕のとれた人形と遊ぶ子供 神戸で語るあの時の戦慄 」『大阪毎日新聞』 1940年1月29日〕。
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